江戸時代に昌平坂学問所(東京都 江戸幕府)、松下村塾(山口県 吉田松陰)、咸宜園(大分県 広瀬淡窓)などの私塾で儒教を学んだ幕末の志士が、詩経のように自らの漢詩を詠んだことが詩吟の起こりです。
ただ当時、詩吟の目的は自分の気持ちを表現することだったので、大衆に聞かせる芸能からは程遠いものでした。自らの想いを詩に書いて、それを声に出して読むことで自分の志を確固たるものにする意図があったため、音楽としての要素は重要視されていませんでした。
明治時代に入ると、琵琶の影響を受け次第に節(リズム)という考え方が定着して、撃剣興行では詩吟に合わせて剣舞をする形式で舞台芸能化されました。昭和にはいると木村岳風を流祖とする岳風流や岩淵神風を流祖とする神風流など各地で流派が起こり、詩吟教室が多く開校されました。昭和初期には愛好者数は300万人を超えるとも言われており、全国統一組織として財団法人日本吟剣詩舞振興会が発足した当時は日本最大の芸能にまで大きくなりました。またNHKのラジオ番組やクラウンやテイチクをはじめとするレコード会社から世の中に向けて詩吟を発信する機会が多くあったことも、詩吟の認知度を高める要因でした。
私塾から数えて200年の歴史を有する詩吟は、時代と共に型を守りながらも変化を重ねて
詠われ続けてきました。